弊社に雑誌の取材がありましたので、掲載内容を記載いたします。
飯田 金野社長は、かつて教員や警察官としてご活躍されていたそうですね。まずは、CG 業界へ転身されることになったきっかけからお聞かせください。
金野 私は学生時代、スポーツでの進学を目指しておりましたが、故障によって断念せざるを得ず、生徒に同じような思いをさせてはいけないという使命感から指導者を目指し、大学卒業後に高校教員になりました。その後、警察一家だった家族の影響で一度警察官として働き、再び教員に復帰してからは腰を据えて仕事をしていこうと考えていたのですが、進路指導で自分の夢に目を輝かせている生徒たちを見ているうちに「私は本当にやりたいことをやっているのだろうか」と自問するようになっていきましてね。
飯田 なるほど。そうしてたどり着いたのがアニメーションの道だったと。
金野 はい。思い返すと私は、徹夜でテレビゲームやアニメを楽しむほど、クリエイティブの世界に興味を抱いていたことに気が付いたんです。ちょうどその頃にはサブカルチャー文化もかなり成長してきていたので、「思い切ってチャレンジしよう」と30 歳を過ぎてからCG・ゲームの専門学校に入学しました。周りと比べると遅い挑戦でしたが、寝る間も惜しんで勉強を続け、1 年目が終わる頃には映像制作会社のスタッフとして実務の経験もさせていただけたんです。
飯田 それはすごい。人の2 倍、3 倍の速度で成長してこられたのですね。
金野 その後は大手CG 映像制作会社でチーフアニメーターとしてアニメの制作にも携わり、有名ゲームやLIVE 映像制作でディレクターや制作進行を経験し、2021 年に当社を設立しました。現在は、各分野に強みを持つ少数精鋭のメンバーで、ゲーム・アニメ・映画などさまざまな媒体の3D アニメーション制作を手がけているところです。
飯田 これからさらに飛躍していかれるところなのですね。社名も、シンプルかつインパクトがあって素敵です。由来があればぜひお聞かせいただけますか?
金野 私は元々埼玉県民だったので、就職先を探していた際、関東のアニメ制作会社は東京に集中していて、埼玉にはほとんどないことがわかったんです。通勤時間を作業に充てられたらもっと良いものがつくれるので、いつか埼玉に会社を設立してみたいと考えておりました。また、今はコロナ禍の影響で必ずしも上京することが正解とは限らないですし、地元で頑張りたいと思うクリエイターも多いと考え、「埼玉を代表して優秀な人材を輩出できる会社をつくる」という意志を社名に込めました。また、ネット検索に掛かりやすいほうが埼玉県民を獲得しやすいという狙いもあります。
飯田 同志と一緒に上を目指す社長の信念がひしひしと伝わってきます。今後の展望も広がっていきそうですね!
金野 ありがとうございます。この仕事は1 人ではできませんから、これからも仲間を大切にしながら全員が働きやすい環境を整え、私自身も成長を続けていければと考えています。ゆくゆくはメジャー作品の制作実績を増やし、「CGならすべて任せられる」とお客様に言っていただける会社を目指したいですね。埼玉から世界レベルの映像を皆様にお届けできるよう、努力してまいります。
飯田 哲也氏(野球評論家)
「1 秒に数十コマが処理されるアニメーションを手がけるだけに、眼球のトレーニングも欠かしません」と語ってくださった金野社長。
最前線を走り続けようと努力される姿勢は、アスリートに通ずる部分もあり感銘を受けました。若きクリエイターたちの手本となる存在として、さらなるご活躍を期待しています!
代表取締役社長 / チーフディレクター
金野 義德
高校教員や警察官を経験。心から打ち込める仕事を模索し、30 歳を過ぎてCG の専門学校に入学する。並外れた努力で技術を身に付け、1 年目から現場で活躍。数々の有名作品を制作する。業界歴6 年で独立を果たし、2021 年2 月に(株)埼玉アニメーションを創業した。
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